ジャック・マー(馬雲)の人生と信念からアリババの強さを知る その1

中国トレンド

私が中国で生活している時、アリババは既に巨大IT企業として君臨していましたが、2000年代の快進撃を目の当たりにしてきたので、アリババ創設者のジャック・マー氏の存在に強い興味がありました。

その後、中国・日本でジャック・マーの動画や書籍を読み漁り、その人となりやエピソードを知る程、ジャック・マーのことが好きになっていきました。

日本では、スティーブジョブズの生い立ちや、エピソードは多く紹介されていますが、ジャック・マーの話はあまり聞かないです。

個人的にジョブズよりもクールでいい奴だと思っているジャック・マーについての本気解説記事です。

 

[speech_bubble type=”std” subtype=”L1″ icon=”ma.jpg” name=”マー”]皆さんこんにちは!ジャック・マーです。

今日は私ジャック・マーの名言と共にアリババの軌跡をお伝えします! [/speech_bubble]

ジャック・マー(馬雲)の生い立ちは決して恵まれていなかった

ジャック・マーは1964年中国浙江省杭州市で生まれました。

身体の小さかったジャック・マーは小学校の頃から大きな体の同級生にからかわれることもありましたが、

決して逃げることはしませんでした。

子供の頃から自分の人生は自分で作り出したい、他人に怯えて生きるような人間になりたくない。と思っており、いつでも勇敢でした。

[speech_bubble type=”std” subtype=”L1″ icon=”ma.jpg” name=”マー”]私は身体は貧相だったが、喧嘩は得意だった[/speech_bubble]

そんな勇気のあるジャック・マーですが、学校の成績は決して良くありませんでした。

そんな時、ある時担任の社会教師が話した雑談によって英語を身につけてしまったのです。

ある日、社会教師が授業の合間に言いました

「先日外国人観光客に道を尋ねられ、英語で杭州の名所を答えてあげたら、とても感謝されたよ」

そんな他愛もない話を聞いたジャック・マーは早速行動を起こしました。

まず少ないお小遣いの中からラジオを勝手、毎日英語の放送を聞きました。

夜な夜なラジオで英語を勉強しながら、

社会教師が言っていたのと同じく、自ら杭州の観光地へ出向き

そこで外国人観光客を見つけては話かけました。

目的は英語の上達です。

小学生の時から杭州のガイドを自ら買って出て、

中学生の時には自転車に外国人観光客を乗せては、杭州の隅々を英語ガイドしながら案内していました。

ジャック・マーは小学校の時から、強い意志と、自分自身への挑戦心を持ち続け

勇気をもって一歩踏み出すような心の持ち主でした。

外国人と接点を持つようになったことが、将来、アリババ構想へと繋がっていくことになります。

[speech_bubble type=”std” subtype=”L1″ icon=”ma.jpg” name=”マー”]今でなければいつ? 

私でなければ誰が?[/speech_bubble]

大学受験に失敗!しかしジャック・マー(馬雲)の信念は揺るがない

日々の外国人との交流によって、英語の能力は抜きんでていましたが、他の教科は散々でした。

その結果、高校には何とか入ることができましたが、大学受験は不合格。

18歳のジャック・マーは一時期大学への進学を断念し、三輪自転車で雑誌の運送を仕事としていました。

1年留年した翌年、再度大学受験に挑戦しますが、再度不合格。

両親も大学進学を諦めさせようとしていましたが、ジャック・マーはアルバイトをしながらも決して自分の夢を諦めていませんでした。

そして3回目の受験で杭州師範学院へ補欠合格で入学することができたのです。

[speech_bubble type=”std” subtype=”L1″ icon=”ma.jpg” name=”マー”]成功するには常に自分が求めるものは何かを分かっている必要がある。

それはつまり信念を持つということだ[/speech_bubble]

理想主義者であり続けたジャック・マー(馬雲)の大学生・教員時代

大学には補欠合格で入学を許されたジャック・マーですが、絶対的に自信のあった英語力でみるみる頭角を表すようになります。

結果、卒業時には他の同級生が中学や高校の教師として配属される中、ジャック・マーは卒業生で唯一いきなり大学教師として英語を教えるようになりました。

大学教師としても順調にキャリアを積んでいたのですが、5年間で大学教師の職を辞することになります。

その理由は翻訳会社を経営するためでした。

当時の中国にはジャック・マー程高いスキルで英語を使うことの出来る人材は少なく、

翻訳会社は人口900万人を誇る大都市杭州にも存在していませんでした。

ジャック・マーに迷いはなく、必ず社会に必要なサービスを提供しているという信念のもと起業しました。

しかし、起業当初は赤字の連続で、翻訳での仕事が入らないので、雑貨や医療機器を仕入れては販売し、

それを翻訳会社の運営資金に充てるというような自転車操業が続きました。

そんな苦しい時代を乗り越え、次第にジャック・マーの翻訳のスキルと、熱意が認知され

翻訳会社も軌道に乗ることができました。

海博翻訳社は今でも杭州で営業しており、杭州最大の翻訳会社となっています。

ジャック・マーは行動力と市場を読み解く能力が卓越しているので、ある一時期の苦しみを味わったとしても

必ず成功するという自信がブレないので、従業員も顧客も次第にその価値に気づいていくようです。

[speech_bubble type=”std” subtype=”L1″ icon=”ma.jpg” name=”マー”]成功者には二つの資質が備わっている。

一つは大胆で執着心が強いこと。

もう一つは市場に対して敏感な嗅覚を持っていることだ[/speech_bubble]

偶然のアメリカ訪問でジャック・マー(馬雲)はインターネットの凄さを体験する

ジャック・マーがインターネットを事業にしていくきっかけとなったのは翻訳会社の仕事としてアメリカへ行ったことです。

結局アメリカでの翻訳の仕事はダメになったのですが、そのまま中国へ帰ることをせず、

スロットマシンで当てた600ドルを握りしめてジャック・マーはシアトルへ向かいました。

シアトルの知人の会社で初めてインターネットに触れたのです。それが1995年、ジャック・マー34歳の時でした。

行動力が並外れているジャック・マーは、早速その日のうちに知人に頼んで自身の翻訳会社のホームページを作りました。

ホームページを作って、散歩に出かけ、戻ってくるとそこには5通の仕事の依頼が届いていました。

その時、中国でインターネットを使ったビジネスモデルを作り、世界に向けたビジネスをする。という構想が浮かび、

帰国すると直ぐに「中国黄頁」というサイトを作りました。このサイトが後に時価総額2600億ドルの

世界4位の会社となるアリババの前身となるのです。

[speech_bubble type=”std” subtype=”L1″ icon=”ma.jpg” name=”マー”]一つのことに打ち込まなければ

何も成し遂げられない[/speech_bubble]

 

その2へ続きます

 

イマチュウの中国ニュースが気に入ったら
いいね ! お願いします

Twitter で

コメント