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今の中国を伝えたい!

自分で独立すると決めた時から、今までその思いだけは変わらず続けてきました。

今日は、なぜそう思うようになったのかを少しお伝えできればと思います。

中国へ来たのは2004年の春でした

僕と中国との出会いは14年前、2004年からです。

それまでは中国に対しての印象は特になく、歴史にも大して興味はありませんでしたが、

唯一中国のことでイメージできたのは、

大好きな司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズで蘇州や上海の魅力あふれる様子が描かれていたので

割と良いイメージを持っていましたね。

三重県の田舎者だった僕は、愛知県で大学に行っていましたが、

名古屋でも都会疲れを感じていたので、地元で就職するつもりでした。

当初新卒1年目で地元の自動車部品メーカーに就職したんですが、

若いうちに中国の製造現場を見た方が良い。という会社の考えからか、

初年度から中国工場への赴任が決まりました。

会社の辞令なので特に何も考えずに行きましたが、

今考えると、初年度から中国赴任というのは、周りに誰も同じような境遇の人はいませんでしたね、、、。

そこが人生の大きな転機だったと思います。

13年の駐在員時代に自己形成されたもの

初めは会社に通いながら、無錫の江南大学へ留学して中国語を勉強しました。

その時は人生で一番一生懸命勉強したという自負があります。

勉強もしましたが、夜は毎日遊んでいました。遊ぶといってもお金は無いので

寮の友達の部屋で宴会したり、中国人学生と交流したりと健全な遊びでしたね。

学校は半年で卒業し、22歳の自分は会社で新規開拓を担当する部署に配属されました。

それまでは中国って面白いなぁと思うことが多かったですが、

実際に仕事をしてみると、うまくいかない事だらけで絶望に暮れることも多々ありました。

工場の材料が盗まれて製品が作れなくなったり

協力メーカーの人との約束していたものが、出来上がってきたのは全く違うものだったり

日本では考えられないようなことが多く、嫌になる事も多かったです。

そんな中、助けてくれるたのも中国のスタッフでした。

気分がふさがっている僕を近くに食堂に連れて行ってくれ

「俺に任せておけ!とりあえず乾杯だ!」

と言われ、普段は酒を飲んだらそのまま寮に帰って寝るんですが、

その時は従業員を集めてくれて、一緒に徹夜で作業をしてくれました。

中国人の情の厚さや、懐の深さを感じることは仕事でもたくさんありましたね。

独立した時の思い

中国で市場開拓をする日が続き、

10年を超えた頃には、中国でやれるという自信もついてきたのですが、

このまま中国で仕事を続けていくことで自分の人生は終わると思ったら急に寂しくなったんです。

34歳の時でした。

その時は中国人の奥さんと娘もいたのですが、

改めて自分のやりたいこと、中国で経験したことを活かして

好きな文章で中国人に日本を紹介がしたい

と思いました。

仕事になるかどうかは考えずにただその思いだけで独立してしまいました。

それで、一度家族で日本に戻って、

福岡県を拠点に個人で独立しました。

日本では地道にインバウンド向けのセミナーや、中国集客サポート等を行ったりしていました。

1年程である程度生活できるようにはなりましたが、

日本にいては最新の中国情報が分からないというのも感じて、もどかしかったです。

再び上海へ

そこで、一度日本の仕事を減らして、単身上海へ行き、

改めて上海で一から会社を作って

中国の最新情報を伝える仕事をしよう

と思うようになりました。

会社の名前は

今の中国を伝えるメディアの略でイマチュウとしました。

今は中国と日本を半分ずつの生活を続けています。

 

今後このメディアがどれほど大きくなるか

自分でも未知の部分がありますが、

自分が独立する際に決めた思いは忘れず

面白い情報発信を続ける会社であり続けたいと思っています。

 

 

中国の最新トレンドや、中国進出、上海アテンドなど

今の中国、特に上海から学ぶことは多いと思います。

日本の会社とお繋ぎ出来るようなことがあれば何なりと仰ってください。

イマチュウ 代表 村林勇紀

murabayashi@imachu.com